私の与える愛は、まだ本物ではない。

2024年4月4日 木曜日 晴れ

 

今日は病み上がりから復帰1日目のお仕事だったので、

簡単に最近考えていることを書いて寝たいと思います。

 

 

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私は過去世で、情けをかけることは得意だった。

面倒見の良いところがあって、沢山の人が慕ってついてきてくれたけど、

どこか突破しきれないところがあった。

 

小さなコミュニティで満足して、小さくまとまる傾向があった。

 

でも、今世はそこで終わるのは絶対に嫌だ。それなら今までとあまり変わらない。

 

自分の身近な人が救われたら、それで良いと思うところがあった。

 

「日本」を守りたいというより、「自分の大切な人」を守りたかった。

 

「情けとは、人生をより鮮やかに、面白味のあるものにするために、仏が下さった、いわば人生の味付けのようなもので、その量はよくコントロールされなければならない。」

 

と、天照様は霊言で教えてくださった。

 

「情け」とは味付けなのであって、そちらが本道になってはいけないのだ。

 

私の過去世にも、「情けは見方、仇は敵」のような言葉が残っていた気がするが、それが彼の魅力であり、また限界でもあった。

 

結局、与える愛と言っても、私が享受している与える愛は、見返りを伴った与える愛なのだ。

 

優しい言葉をかけた、その後のほころんだ表情に心癒されている部分があるのだ。

 

だから、私の与える愛は、あまり忍耐を含まない。

誰かが裏切ったり失敗をしたときに、

その良心を見て許したり、労ったりすることはできたかもしれないが、

 

まだ目が開けていない者たちをも愛し、たとえ彼らに冷たい言葉や、攻撃を受けたとしても、

 

まだ目が開けていないからだ。と、彼らを理解し、許し、そしてもっと大きな愛で包むような、そんな愛を与えられるようになりたいのだ。

 

私は日本を本気で守る覚悟があるのか?

そもそも、日本を愛しているのか?

世界を愛しているか?

地球を愛しているか?

 

命をかけて守りたいと思っているか?

 

私の与える愛は、まだまだ視点が近い。

 

人を愛することが幸せだから愛している。

自分が幸せだから愛している。という感覚。

 

でも本当は、仏を愛している証拠として、

人を愛するのだ。と教えて頂いている。

 

その本当の意味が私にはまだわからない。

 

あなたと私が一つであることを、悟りきれていない。

 

私が仏と繋がり、仏そのものと一体となる感覚があって初めて、他の人々も仏の子である意味が、真にわかるのだと思う。

 

うまく言葉にできないが、「愛」という単純な言葉の中に、無限の深さと広がりがあるのだけはわかる。

 

ああ今世、私の命を燃やし切ることはできるのだろうか。

 

後悔の少ない人生を生き切ることはできるのだろうか。

 

まだ今年度も始まったばかり。

もっともっと悟りを深めていきたい。

 

 

以上、Elenの一人語りでした。

 

いつもとは口調が違うので、誰かがきて話していたかもしれませんね。笑

 

リアルタイムの赤裸々な自分を見せるのは、

振り返ると悟りが浅くて恥ずかしくなると思うのですが、

 

あえて残してみました。

 

短くするつもりが少し長くなってしまいましたね。

 

今日も、最後までお読みくださり、ありがとうございました。 

 

Elenでした!

 

それでは、おやすみなさい〜。